将棋には、こんな歴史があるんです。その2 : 将棋初心者ミッドの挑戦~30歳を境に、将棋に目覚めた男の軌跡~

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将棋には、こんな歴史があるんです。その2

こんばんは、ミッドです。

今回は引き続き、将棋の歴史についてお話させて頂きます。

安土桃山時代になると、大橋宗桂本因坊算砂という二人の将棋の名人が現れ
ます。この二人の登場により将棋が少しずつ盛り上がっていきます。大橋宗桂
は、あの有名な徳川家康が造った将棋所の「司(官司の等級の一つ)」に任命
されます。そして幕府から給料を貰ったそうです。将棋の腕一つで出世したと
いうことですね。大したもんです。これが今でいうプロ棋士の始まりでしょうか。

いっぽう本因坊算砂はというと、こちらもかなりの実績の持ち主のようです。
8才で出家し、仏教を学びつつも囲碁にも没頭します。豊臣秀吉の前で有名な
囲碁のツワモノを次から次に倒し、どえらい褒美を貰ったとか。それから暫く
して大橋宗桂と対極したそうです。囲碁のツワモノということは頭が切れるひ
とだったんでしょうし、将棋の腕もそれはそれは強かったんでしょうねー。

江戸時代には大橋宗桂を祖とした大橋本家と、その二男の宗与祖とする大橋分
家、そして大橋家の門人の伊藤宗看を祖とする伊藤家が、「将棋家元三家」と
たいそうな名前で呼ばれ、この三家以外の棋士は素人(屈辱!)と呼ばれてい
たようです。

このように将棋界は盛り上がりをみせますが、明治維新になって衰退してしま
います。再び復興したきっかけは明治時代末期に「万朝報」という新聞が将棋
を掲載したからです。

現在でもテレビで放送されています。かつては将棋をテーマにしたドラマや
漫画もありましたね。


二回に渡って将棋の歴史に触れてみました。今回はこの辺で失礼します。最後
までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。


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